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きみが嫌い

 

僕は元から自分のことが嫌いで大嫌いです。

 

恋人と一緒に歩きたかったけど

こんな僕と一緒にいるのを見られると

周りから笑われるかな、恥ずかしい思いをさせてるかな、可哀想だなって

考えてしまって余り出掛けなかったし、外を歩かなかったな。

もっと出掛ければよかったと今なら思う。

電車に乗っても少し離れたところに立つから会話もできなくて

夜遅くの帰りを駅まで迎えに行って

帰り道に手を繋ぎたくなって繋いでみても直ぐに離されてしまうから

隣を歩かれるのはやっぱりイヤなんだろうなって感じるようになっていました。

 

今なら話したいことがいっぱいあって、

行きたいとこ、見たいもの、したいことが、たくさん思いつきます。

 

デヴィッド・ボウイ大懐古展にも行きたかったな、、、

3月29日から智美術館で始まる『篠田桃紅 昔日の彼方に』も一緒に行きたかった。

篠田桃紅の話はしたことなかったけど、

たぶん、作品も美術館もきっと恋人が凄く好きになるものだと思うから。

あと、約束したわけでもないし、恋人がひとりでつぶやいていたことだけれど、

ホキ美術館を一緒にうろちょろしたかったとも思う。

 

僕は自分に自信が持てなくて大嫌いでどんどん余裕がなくなっていった。

去年の仕事の報酬の未払いが続くといった状況から始まって

仕事もお金もなくなっていって不安が増幅して

恋人にも迷惑をかけて申し訳なくて

嫌われるんじゃないかって見捨てられるんじゃないかって

そればかり考えるように視野も心も狭くなっていった。

 

iPhoneを落としたりちょっとしたことも含めて

すべての流れが悪い方へと向かってるとしか考えられなくなっていて

好きな人が「すきだよ」って言ってくれることに逃げ込もうとしたけど

「好きってなんなのかな」って言われて目の前が暗くなって

それについては説明されて質問の意味がわかりはしたけど、

好きな人は忘れてるみたいだけれど、

本当はその後に言った「人ってどうして別れちゃうのかな…?」って

一言の方が僕は凄く怖かった。

そのときは現実的に深くは考えていなかったとは思うけど

別れたい、別れようって考えてるのかなと思った。

いつか別れるのなら、今、別れますって言った意味も

考えてることもまったくわからなくて、

決まってもいない「いつか」のために

すべてを捨てられる気持ちもわかんなくて

僕はその怖さを乗り越えられなくて質問責めしたり、

失うことの怖さから逃げようと感情を発露させてしまった。

好きな人はその数億倍も怖い思いをしたのだろう。

 

あの日のことは思い出したくないけど

思い出して考えないと前に進めないから

ずっと考えないといけない。

イヤだから考えることも思い出すことも放棄して

逃げてるわけにはいかない。

それでは、追われてる感覚が抜けないまま

一生、わけのわからない怖さを引きずるだけだし、

僕の感じてた怖さと

好きな人が感じて追い込まれてる怖さの本質は

全然、別のところにあって、全然、別物なのかも知れないけど

考え続けたい。

 

例え無意味だとしても。

 

だから、一ヶ月前の自分を殺したいほど憎いし、

今、このブログを書いてる、きみが、おまえが嫌いだよ、大嫌いだよ。

死んじゃえっていいたいけど、

死ぬのは解決でも罰でもない、自己満足な自己憐憫だから言ってあげない。

 

怖さについてずっと考えてるけど

今日はこれから出掛けないといけないから

帰ってきたら考えよう。